『軍師官兵衛』長男・黒田長政 糸と離縁の理由と社会的背景 [国内エンタメ]
現在放送されている、岡田純一主演の大河ドラマ、『軍師官兵衛』。
それぞれのキャストが実力を出し切り見逃せない作品となっています。
私はなかなかリアルタイムで見れていないのですが、それでも毎週必ず見ています(聞いていないwww)
そこで急上昇検索ワードを見ていると『黒田長政』という4文字が飛び込んできました。
黒田長政と言えば、主役の黒田官兵衛の長男であり黒田家の家長ですよね?本作では松坂桃李が演じています。
しかし調べてみると、この黒田長政、あれほど仲睦まじい妻・糸と離縁するのだそう。
その理由と社会的背景について調べてみました。
黒田長政(くろだながまさ)
猪突猛進さが時に官兵衛には危なっかしくも映る黒田家の長男。
黒田家の家長だが、厳しい父官兵衛に認められたいがあまり、その関係性が屈折したものとなっていきます。
糸(いと)
秀吉の家臣である蜂須賀小六の娘として生まれ、父親譲りの豪快な性格を受け継ぐ女性。
福岡藩初代藩主・黒田長政の正室。高畑充希(たかはたみつき)が演じています。
栄(えい)
徳川家康の母方の名であり、のちに家康の養女に。
政略結婚により16歳で関ヶ原の戦いの前夜に長政に嫁いだ女性。演じるのは吉本実憂(よしもとみゆ)。
全ての画像元
長政と糸の離縁の理由
もともと二人の結婚は、天下人とならんとする豊臣秀吉の元での政略結婚。
ドラマで糸は結婚前に秀吉の養女となるような描写がされていました。
しかしこの二人の間には、十数年間子供が生まれず、それからようやく授かった子もお菊という女子。
跡取りとなる男子ではなかったのです。
そして秀吉亡き後混沌とする世の中で、黒田家は徳川家との関係を密なものにしようと
家康の養女と政略結婚させられるべく、離縁させられたようです。
何とも運命のいたずら……。
当時の社会背景
戦国時代は、当事者の意思に関係なく、戦略上の結婚が当たり前のようになされていました。
そして残酷なことに、子供が生まれない夫婦は離縁させられてしまうこともしばしば……。
以前教科書で「3行半で離婚を突き付けられていた」と離縁状の写真を見た時は、
中学生ながらとてもショックでした。
今見れば、この3行半の離縁状は社会的風習だったのだそうです
これは、茶で墨をすって3行半の正式な文章を書く事で「離縁状=三行半(みくだりはん)」と呼ばたのですが、
文字の書けない庶民の間では、3行半の縦線を書き、爪印を押すだけで効力を持ったそうです。
ちなみに「みくだりはん」予測変換できて感心しました照
実はこの三行半、当時は夫から一方的に突きつけられるものでしたが、
夫婦連名による離婚届になってからも、離婚することを意味して三行半という言葉だけが残ったそうです。
この場合の三行半は、どちらか一方が愛想をつかすなど一方的な離縁に使われる言葉。
現在では恋人関係でも使われるようになり、離縁まではしなくても、愛想をつかしたという意思表示程度でも「三行半をつきつけた」といわれるようになる。
本当の意味を知ると、簡単に使えないな……
たいそう横道にそれてしましました(すみません)が、
当時戦国時代は、婚姻で家同士の関係を強め、一家安泰を図ろうとしました。
一方離縁状を突き付けられた妻方ですが、もちろんいい気はしませんよね。
当の二人、黒田家と蜂須賀家は100年に渡り絶縁したそうですが、
そこを分かっていて離縁するというのはよっぽどの覚悟と称賛がなければならないのでしょう。
新しい妻・栄とはなんと徳川家が天下人となった関ヶ原の戦いの前夜に行われたのですから、
間一髪と言いますか、計算され尽くされた婚姻だったのですね。
その後の蜂須賀家が栄えたことも願いますが、
長政の決断も黒田家を盤石にしてあっぱれだったと思います
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それぞれのキャストが実力を出し切り見逃せない作品となっています。
私はなかなかリアルタイムで見れていないのですが、それでも毎週必ず見ています(聞いていないwww)
そこで急上昇検索ワードを見ていると『黒田長政』という4文字が飛び込んできました。
黒田長政と言えば、主役の黒田官兵衛の長男であり黒田家の家長ですよね?本作では松坂桃李が演じています。
しかし調べてみると、この黒田長政、あれほど仲睦まじい妻・糸と離縁するのだそう。
その理由と社会的背景について調べてみました。
黒田長政(くろだながまさ)
猪突猛進さが時に官兵衛には危なっかしくも映る黒田家の長男。
黒田家の家長だが、厳しい父官兵衛に認められたいがあまり、その関係性が屈折したものとなっていきます。
糸(いと)
秀吉の家臣である蜂須賀小六の娘として生まれ、父親譲りの豪快な性格を受け継ぐ女性。
福岡藩初代藩主・黒田長政の正室。高畑充希(たかはたみつき)が演じています。
栄(えい)
徳川家康の母方の名であり、のちに家康の養女に。
政略結婚により16歳で関ヶ原の戦いの前夜に長政に嫁いだ女性。演じるのは吉本実憂(よしもとみゆ)。
全ての画像元
長政と糸の離縁の理由
もともと二人の結婚は、天下人とならんとする豊臣秀吉の元での政略結婚。
ドラマで糸は結婚前に秀吉の養女となるような描写がされていました。
しかしこの二人の間には、十数年間子供が生まれず、それからようやく授かった子もお菊という女子。
跡取りとなる男子ではなかったのです。
そして秀吉亡き後混沌とする世の中で、黒田家は徳川家との関係を密なものにしようと
家康の養女と政略結婚させられるべく、離縁させられたようです。
何とも運命のいたずら……。
当時の社会背景
戦国時代は、当事者の意思に関係なく、戦略上の結婚が当たり前のようになされていました。
そして残酷なことに、子供が生まれない夫婦は離縁させられてしまうこともしばしば……。
以前教科書で「3行半で離婚を突き付けられていた」と離縁状の写真を見た時は、
中学生ながらとてもショックでした。
今見れば、この3行半の離縁状は社会的風習だったのだそうです
これは、茶で墨をすって3行半の正式な文章を書く事で「離縁状=三行半(みくだりはん)」と呼ばたのですが、
文字の書けない庶民の間では、3行半の縦線を書き、爪印を押すだけで効力を持ったそうです。
ちなみに「みくだりはん」予測変換できて感心しました照
実はこの三行半、当時は夫から一方的に突きつけられるものでしたが、
夫婦連名による離婚届になってからも、離婚することを意味して三行半という言葉だけが残ったそうです。
この場合の三行半は、どちらか一方が愛想をつかすなど一方的な離縁に使われる言葉。
現在では恋人関係でも使われるようになり、離縁まではしなくても、愛想をつかしたという意思表示程度でも「三行半をつきつけた」といわれるようになる。
本当の意味を知ると、簡単に使えないな……
たいそう横道にそれてしましました(すみません)が、
当時戦国時代は、婚姻で家同士の関係を強め、一家安泰を図ろうとしました。
一方離縁状を突き付けられた妻方ですが、もちろんいい気はしませんよね。
当の二人、黒田家と蜂須賀家は100年に渡り絶縁したそうですが、
そこを分かっていて離縁するというのはよっぽどの覚悟と称賛がなければならないのでしょう。
新しい妻・栄とはなんと徳川家が天下人となった関ヶ原の戦いの前夜に行われたのですから、
間一髪と言いますか、計算され尽くされた婚姻だったのですね。
その後の蜂須賀家が栄えたことも願いますが、
長政の決断も黒田家を盤石にしてあっぱれだったと思います
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