【今日は何の日】ビロード革命25周年!東欧の民主化皮切りを分かりやすく [知っ得]
前回1989年11月9日の『ベルリンの壁崩壊』についてその周辺国への影響もかねて書きました。(記事はこちら)
実はこの1989年、東欧諸国の共産主義政権が次々と倒されていった年なんです。
そこで私が住んでいるプラハの知人に上のベルリンの壁について聞いてみたのですが、実際の反応はというと
「ま、俺たちの革命が一番早かったけどね」
「あ~そんなこともあったねぇ」
「チェコの革命の方が有名だよ」
とか何とか、ドイツはお隣さんだからか同年の自国の歴史の方がメイン。
そんな革命当日の今日は祝日です。
そっかぁ日本人にはなんだかなじみが薄いような…
プラハの街並みとヴルタヴァ川
せっかく中欧にいるし、今日はその『ビロード革命』について調べてみました。
知っていれば、ちょっと賢く見られる事間違いなし
『ビロード革命』とは、当時のチェコスロバキアの政治変動で、1989年東欧各国の社会主義政権崩壊と前後して起こった共産党支配を倒した革命です。
チェコスロバキアは1948年から1989年までは事実上の一党独裁制政党として社会主義体制が敷かれ、共産主義政権の支配下に置かれていましたが、
25年前の本日 11月 17日、プラハで合法的であった共産主義青年団活動が第二次世界大戦でナチスによって殺された人々を追悼するデモが警官隊により弾圧されたのを皮切りに、全国へ民主化要求運動が広がり、わずか約1ヵ月の間で
共産党独裁の放棄 (26日)、
国民和解内閣の成立 (12月 10日)、
ヴァーツラフ・ハヴェル新大統領の選出 (29日) と、
政権交代と民主化が流血なくスムーズに進んだことからこの名がつけられたそう。
私の知人のチェコ人は、この革命が“無血”だったことを強調していました
ちなみにビロードって、別名ベルベットっていう生地の名前なんですねぇ、
恥ずかしいのですが、ガラスの一種かと
さて、当時のチェコスロバキア政府は革命の波がすぐにでもやってくるだろうと神経質に予想していました。
共産主義に抗議する人々の中で指導的立場にいたのはヴァーツラフ・ハヴェル氏という人で、政府との協議で最終的には同年12月3日に彼らを辞任させました。
その直後、数々の政党がハヴェル氏を党首に選出した「市民フォーラム」」が結成、直に大統領に。
これら一連のビロード革命の後も国家内にはまだ問題が残っており、東半分のスロバキアは徐々に西に集中する権力と資金に怒りを覚えるように。
1993年緊迫した状態になり、国が最終的に分離する形でチェコ共和国・スロバキアが誕生したそうです。
余談ですがこの二国は元あった国家を1番(チェコ側)2番(スロバキア側)で分けてそれぞれ国歌としています。原題のチェコ人にとっては「兄弟みたいなもんだからね~」との事。画像元
これからのチェコはじめ周辺中欧諸国の進展ぶりには目が離せません。
スポンサーリンク
実はこの1989年、東欧諸国の共産主義政権が次々と倒されていった年なんです。
そこで私が住んでいるプラハの知人に上のベルリンの壁について聞いてみたのですが、実際の反応はというと
「ま、俺たちの革命が一番早かったけどね」
「あ~そんなこともあったねぇ」
「チェコの革命の方が有名だよ」
とか何とか、ドイツはお隣さんだからか同年の自国の歴史の方がメイン。
そんな革命当日の今日は祝日です。
そっかぁ日本人にはなんだかなじみが薄いような…
プラハの街並みとヴルタヴァ川
せっかく中欧にいるし、今日はその『ビロード革命』について調べてみました。
知っていれば、ちょっと賢く見られる事間違いなし
『ビロード革命』とは、当時のチェコスロバキアの政治変動で、1989年東欧各国の社会主義政権崩壊と前後して起こった共産党支配を倒した革命です。
チェコスロバキアは1948年から1989年までは事実上の一党独裁制政党として社会主義体制が敷かれ、共産主義政権の支配下に置かれていましたが、
25年前の本日 11月 17日、プラハで合法的であった共産主義青年団活動が第二次世界大戦でナチスによって殺された人々を追悼するデモが警官隊により弾圧されたのを皮切りに、全国へ民主化要求運動が広がり、わずか約1ヵ月の間で
共産党独裁の放棄 (26日)、
国民和解内閣の成立 (12月 10日)、
ヴァーツラフ・ハヴェル新大統領の選出 (29日) と、
政権交代と民主化が流血なくスムーズに進んだことからこの名がつけられたそう。
私の知人のチェコ人は、この革命が“無血”だったことを強調していました
ちなみにビロードって、別名ベルベットっていう生地の名前なんですねぇ、
恥ずかしいのですが、ガラスの一種かと
さて、当時のチェコスロバキア政府は革命の波がすぐにでもやってくるだろうと神経質に予想していました。
共産主義に抗議する人々の中で指導的立場にいたのはヴァーツラフ・ハヴェル氏という人で、政府との協議で最終的には同年12月3日に彼らを辞任させました。
その直後、数々の政党がハヴェル氏を党首に選出した「市民フォーラム」」が結成、直に大統領に。
これら一連のビロード革命の後も国家内にはまだ問題が残っており、東半分のスロバキアは徐々に西に集中する権力と資金に怒りを覚えるように。
1993年緊迫した状態になり、国が最終的に分離する形でチェコ共和国・スロバキアが誕生したそうです。
余談ですがこの二国は元あった国家を1番(チェコ側)2番(スロバキア側)で分けてそれぞれ国歌としています。原題のチェコ人にとっては「兄弟みたいなもんだからね~」との事。画像元
これからのチェコはじめ周辺中欧諸国の進展ぶりには目が離せません。
スポンサーリンク
2014-11-17 19:08
nice!(7)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0