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ベルリンの壁崩壊25周年わかりやすく 周辺国への影響は? [国際]

東西冷戦の象徴だった「ベルリンの壁」崩壊から本日9日で25年
Googleの検索画面が「ベルリンの壁崩壊25周年バージョンになっていたため気づいた方も多いのでは?

berlin.jpg

ドイツの首都ベルリンではメルケル首相らが出席する記念式典や壁を越えようとして命を奪われた人たちの追悼式、市民による祝賀の催しが行われたそうです。

更に7日から今日にかけて、ベルリンの壁が巡らされていた155キロメートルのうち15キロメートルにわたって
7000個近くの白い風船を地面に固定され、これら輝く球体は9日、
ベートーベン(Ludwig van Beethoven)の「歓喜の歌(Ode to Joy)」が流れる中
空に放たれることになっています。

berlin1.jpg
画像元
こちらの動画から祝賀イベントのプロジェクトがご覧になれますよ
↓↓↓
LICHTGRENZE - light art project for the 25 years fall of the wall memorial November 2014



これをうけ今日は世界を大きく動かした「ベルリンの壁」について調べてみました。





[ひらめき]ベルリンの壁とは

ベルリンの壁は、敗戦後ドイツの東西両陣営の対立を背景に、旧西ベルリンの周囲およそ155キロにわたって築かれたものです。
※私も誤解していたのですが、ベルリンの壁は西ドイツ、東ドイツを分けていたわけではなく、
下図のように西ベルリンを取り囲むようにして建設されたものです。画像元
geteiltd[1].jpg

敗戦国ドイツの首都ベルリンは米・英・仏・ソの4国に分割占領されましたが、
米ソの対立が始まり、米・英・仏占領下のベルリンはソ連に封鎖されました。

その後一旦封鎖は解除されましたが、東ドイツから西ベルリンに逃げる、いわば西側亡命する人が多く
それに手を焼いた東ドイツが西ベルリンに逃げ込めないように西ベルリンをぐるりと囲む壁を建設しました。
これがベルリンの壁と呼ばれます。

旧東ドイツで民主化を求める市民の動きが高まったことを受け、
25年前の1989年11月9日、当時の指導部が出国の自由を発表したのをきっかけに、
東西の市民により壁が壊され撤去されました。
これは建設から28年後の出来事でした。


[ひらめき]周辺国への影響

ベルリンの壁が崩壊した事によって生み出された「歓喜」と「感動」、そして東ドイツの国家としての崩壊が周辺国に以下の影響をもたらしました。

★東西ドイツ統一

東西ドイツの統一は、1945年5月8日以来両者にとって悲願でした。

1990年3月、東ドイツにおいて最初で最後の自由選挙が行われ、
西ドイツのコール首相肩入れの速やかに東西統一を求めることを目的とした
キリスト教民主同盟中心の勢力が勝利すると、
それまでの社会主義統一党政権が主張していた東西の対等な合併ではなく、
西ドイツ(ドイツ連邦共和国)が東ドイツ(ドイツ民主共和国)を編入する方式で統一が果たされることに決定されました。
そうして各国首脳が考えていたよりもはるかに速く、
ベルリンの壁崩壊から満1年も経たない1990年10月3日、悲願の東西ドイツの統一が実現したのです。

しかしその弊害として、世界屈指の経済大国であった旧西ドイツと旧東ドイツの経済格差が覆い隠せないほど歴然としており、
25年たった今でも東西の所得格差は残されたままだそうです。


★冷戦終結
そのため1989年のベルリンの壁の崩壊により東西ドイツの統一に一応の目処が立ち、
壁崩壊から1か月後の1989年12月3日、アメリカの父ブッシュ大統領とソ連のゴルバチョフの両首脳がマルタ島で会談し(マルタ会談)、冷戦終結を宣言しました。


★東欧全域へ民主化革命が波及
ベルリンの壁崩壊は、既に民主化を果たしていたポーランドハンガリーブルガリアのみならず、東ヨーロッパ全域に波及。
1989年11月17日、チェコスロバキア[黒ハート]ではビロード革命が発生、
ポーランドのワルシャワではKGBの前身・チェーカーの設立者フェリックス・ジェルジンスキーの銅像が三つ裂きにされて撤去、
更にはマルタ会談直後の12月16日にはルーマニア革命 (1989年)が発生しました。
また、ソ連の衛星国であったモンゴルでも、壁崩壊後の一ヵ月後の12月10日に民主化デモが発生。
1990年にかけて民主化運動は進展し、モンゴル人民革命党の一党独裁体制が崩壊し新憲法制定、複数政党制の導入が実現。
そして、ベルリンの壁崩壊から2年後の1991年8月20日にはバルト三国が独立、
1991年12月25日には共産主義の元祖であったソビエト連邦自身まで崩壊しました。





[ひらめき]今後は?

ベルリンの壁崩壊後、統一を経て経済発展を遂げてきたドイツですが、
旧東ドイツ地域では失業率が10%を超え西側より大幅に高いほか、
1人当たりのGDPも西側の3分の2程度にとどまるなど、格差問題は今なお残るようです。
またこのような経済面の格差や歴史を背景に、東西の市民の間では一部に偏見も残っており、
こうした隔たりをどう解消していくのかも、今後の課題となっているようです。

EU組織が発展していく中、こらからますますヨーロッパ情勢が気になります[るんるん]


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